岐阜県岐阜市出身。
高校1年生の時、日本のメーカー数社より本格的にパーソナル・コンピュータ(PC)が発売された。
PCは中学生の頃から非常に興味があり、発売後間もなく日本メーカー 某N社のPCを購入する。
独学でプログラムを習得後、いくつものゲームを作成してその才能を開花させた。
1982 年、日本の大手電機メーカーに就職し、コンピュータを本格的に学ぶ。
保守サービスから始まり、リペア、回路設計などハードウェアに関するあらゆるのスキルを身につけた。
特にリペア部門では、配属時に200枚以上あった修理待ちのCPU基板類を、毎日送られてくる修理品も含め、在籍1年で全て修理完了しコンピュータのハードウェアに対する知識に磨きを掛けた。
当時、OSにUNIXを搭載したコンピュータが市場に出たばかりで、まともなテストプログラムがなく、C言語に関する書籍も翻訳された1冊しかなかったため、ほぼ独学でC言語を学び、ダイアグ・ノスティックスプログラムの開発に着手した。
完成後は、全国のサービス拠点に配布し、不具合箇所を的確に発見し修理作業時間の短縮に多大な貢献をした。
新入社員のコンピュータ技術インストラクターや、C言語のインストラクターなどを担当し、若くして人材の育成にも関わ多くの優秀なエンジニアを育てた。
1989 年、UNIX Workstationの外資系コンピュータメーカーに転職する。
サービス本部に所属し、フィールド・サポートとして大手企業のアカウントを複数務める。
その後、東海地区のマネージャーとして現場を統括する立場となった。
部下の育成には、積極的にWLB、コーチング用いて優秀な人材をを育てることに貢献した。
人事部、社会保険労務士と共に、就業報告書や自宅待機業務の開発などにも携わり、労働環境の改善にも力を発揮した。
その後、パートナー企業をサポートする部署に異動となり、サービスプログラムの制作、推進支援する立場となった。
企業間の取引きなど、ビジネスを推進に必要な交渉スキルを身に付け、パートナー企業との間でわずか1年の間に4億円のコスト削減を実現した。
在籍中には社長賞を2回、全世界のサービス部門数万人の中から「優秀社員100名」に選出されること2回、他にも様々な賞を受賞する実績を上げて業績向上に多大な貢献をした。
2007年、某大手自動車メーカーをマネージするサービス責任者として、2社目の外資系コンピュータメーカーに移籍。
そこでは25億円超のシステム・保守の最後の砦として活躍、全ての障害クレームをクローズし、信頼を得ることによって次の商談に結びつけていった。
ここでも人事部と共に就業規則の改定や、新しい部門の設立などを手掛けた。
マネージャーとして、WLB(ワーク・ライフ・バランス)を取り入れた人材の育成・管理を提案し、豊かな経験を基盤として労働環境の改善に努め、優秀な人材を育て続けた結果、部下が社長賞を受賞するに至った。
更にWLBを進化させた「企業・人材育成メソッド」を構築する。
自ら7年間の在宅勤務を経験してきたことから近い将来「働き方の多様性」「人材の多様性」を予測し、企業の働き方の多様性に対する取り組みと従業員満足度の向上の相乗効果が従業員の定着率を生み、会社を活性化するメソッドである。
2015年、社会人として培ってきた知識・経験・実績と、IT業界の第一線で磨き上げたコンピュータの知識と技術、そして夫・父親として家族と一緒に築いてきた家庭、友人・知人へのアドバイス、信頼関係など、人生を豊かに送るためのノウハウをまとめ上げ、コンサルト、コーチング、セミナーを効果的に提供する「コンフォタブル・ライフ・コンサルティング社」を設立。
弊社への「セミナー/講演」及び「取材」ご依頼につきましては下記からお問い合わせ下さい!